
できない理由なんか要らない。できる理由を考える。
固定概念にとらわれなければやってできないことはない。

初めまして。
株式会社エムアイエフの代表取締役の飯塚大樹(いいづか だいき)です。
福島県いわき市出身、千葉市在住の37歳。
ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
現在は「投球・送球・イップスアドバイザー」として、野球指導・ホームページ制作・各種代理店などを行っています。

投球・送球アドバイザー飯塚大樹(37歳)
生年月日: 1988年7月27日
出身: 福島県いわき市
1988年生まれ、福島県いわき市出身(平第一中学校卒業)。 「感覚論の根性野球」で挫折した万年補欠の129キロから、身体の仕組みを科学的に研究し、30代を超えてから「最速145km/h・軟式日本一・全国MVP」を達成。 現在は「現役としての特権」をすべて手放し、バイオメカニクス(生体力学)に基づいた科学的野球指導と、地域ビジネスの集客・DXを加速させるWEBディレクションの二軸で、地元の経済とスポーツ環境を革新する活動を続けている。
■ 挫折の連続だったアマチュア時代:129キロの万年補欠
小学5年生から磐城リトルリーグで野球を始める。中学時代(平第一中軟式野球部)の最後の大会は市大会1回戦負け。強豪・文星芸術大学附属高校に進学するも、1年秋からベンチ入りしながら公式戦の登板はわずか1イニング。第88回甲子園大会への出場を果たすが、背番号11を背負いながらも役割は「ブルペン完投(※裏方での準備係)」だった。当時の球速はわずか129キロ。
続く中央学院大学(部員180人)では、1年春から1軍入りを果たすも、試合中に強烈なピッチャー返しを受けて骨折。復帰後は度重なる肘の痛みに悩まされ、公式戦の登板はゼロに終わる。大学時代の最速は139キロ。かつての自分も含め、周囲には「腕を振れ」「肘を上げろ」という根拠のない感覚論・根性論によって、怪我や伸び悩みに泣く球児があまりにも多すぎた。この「指導の目詰まり」に対する強い問題意識が、現在の活動の原点となっている。
■ 30代からの大逆転:145キロへの到達と「日本一・MVP」
大学卒業後、30歳でヘッドハンティングされ南関東日野自動車(旧千葉日野自動車)千葉支社に入社。ここでこれまでの「感覚」を一切捨て、関節の角度、地面反力、ゼロポジション、股関節旋回など、身体の構造を徹底的に解剖する「バイオメカニクス(生体力学)」を自身の身体に落とし込むために没頭する。
独自の科学的アプローチにより、肉体の全盛期を過ぎたはずの30代から球速が劇的に向上。入社1年目の東日本大会準決勝で9回無失点の好投を魅せ、優勝に貢献。さらに秋の全国大会では、準々決勝を無失点、決勝戦を「完封」という圧倒的な成績で【日本一】に輝き、大会【MVP】を受賞。この大会で自己最速の141キロを記録し、32歳時にはついに【最速145km/h】にまで成長を遂げた。 その後、タイセイビッグキャビン(旧ヤマショウルースター)にて天皇賜杯出場を目指してマウンドに立ち続け、自らの身体を持って「正しいロジックは才能を凌駕する」ことを証明した。
■ 指導者への転身:「145キロの特権」を捨て、指導にフルベットする
2022年6月、WEBデザイン事務所「ELEVEN DESIGN」を開業。同年9月より、長年の研究を体系化したピッチング指導を本格的に開始。
現役として145キロを投げる自身のプレイヤーとしての特権をあえて手放し、「研究と指導の専門家」として生きる道にすべての情熱を注ぎ込むことを決意。軟式野球日本代表・SWBC JAPANライパチ監督からの要請による投手コーチ就任をはじめ、千葉市野球スクールやトラバースアカデミーでのコーチを歴任。千葉・市原・横芝光を中心にパーソナル(マンツーマン)指導を行い、これまで指導した人数は950人を超える。2024年9月には初の海外チームからの指導依頼を受けるなど、その科学的アプローチは国境を超えて評価されている。
また、大手野球YouTubeメディア(トクサンTV、qooninTV、プロ草野球チームベーチャン!など)にも多数出演し、その圧倒的な言語化能力と即効性のある動作解析スキルが大きな話題を呼んでいる。
■ 家業の継承と、地域を豊かにする「MIFパートナーシップ」の未来
2025年1月、父が創業者であるホームページ制作会社「株式会社エムアイエフ」の代表取締役に就任。
長年培ってきたWEBプロデューサーとしての視点から、「ただ綺麗なホームページを作るだけの浪費」を徹底的に排除。「24時間文句も言わずに成果を出す最強の営業システム」としてのWEB集客・DXを、千葉市・市原市の地域密着企業へ提供している。
現在は、デジタル投球教材『逆転の投球設計図 -THE CORE-』の展開や、ジュニア層に向けたB-linkグラブのマーケティング戦略など、スポーツ×デジタルの領域でも最先端の仕組み化を推進。地元金融機関(千葉銀行、千葉興業銀行、千葉信用金庫など)との強固な信用基盤のもと、焼肉かね政やASH PETといった地元企業との提携(MIFパートナーシップ)を拡大している。
単なるボランティアや寄付ではなく、参画する地域企業には「WEB集客や認知拡大という実利」を、地域の子供たちには「最先端の科学的スポーツ環境」を還元する。ビジネスとスポーツが自律的に循環する持続可能なエコシステム(経済圏)を創造することが、私の人生のミッションである。
高校・大学時代はほとんど登板機会がなく、「球が遅い」「才能がない」と言われ続けました。
それでも諦めずに考え続け、社会人で全国優勝と145km/hを達成。
「できない」からスタートした経験が、今の指導の原点になっています。
飯塚大樹の野球人生をまとめてくださったインタビューはこちら👇
野球指導・事業実績
2022年6月、ELEVEN DESIGNを開業。
9月より投球アドバイザーとして野球指導を本格的に開始しました。
主な事業内容は
- 指導関連
- 出張・オンライン投球・送球指導
- 野球指導(元西武ライオンズ林崎遼と共同)
- SWBC JAPAN(軟式野球日本代表)投手コーチ(2023年)
- 千葉市野球スクールコーチ(2022年9月〜2024年9月)
- トラバースアカデミーコーチ(スポット)
- 野球用品販売・代理店
- B-link小指二本入れ専用グローブ代理店
- グローブメーカー立ち上げサポート
- 真軸インソール代理店
- ハイブリットアンダーシャツ代理店
- デジタルサービス
- ホームページ制作(WordPress、HTML、CSS、jQuery、JavaScript)
- 各種デザイン(名刺、ロゴ、チラシ、イラスト等)
- SNSアドバイザー
- その他
- スポーツ経験者特化(体育会系)転職支援
です。
広告費ゼロで運営し、SNS総フォロワー数は2.9万人越え。
もちろんフォロワーは「購入」ではなく、すべて発信を通じて自然に増えた方々です。
私が「広告費ゼロで集客をしてきた方法」をまとめた記事はこちらから👈
指導の原点と想い
私がこの仕事を始めたきっかけは、
「相談を受けた悩みを一つひとつ全力で解決していったら、それが仕事になっていた」ことでした。
野球、転職、デザイン。
ジャンルは違っても、共通しているのは「人の人生をより良くしたい」という想いです。
「自分と関わった人の人生が良い方向にいってほしい。」
投球指導をした選手にはエースになってほしい。
グローブを作った選手には、プレーが上達してほしい。
ホームページを制作したお客様には、集客や売上が伸びてほしい。
職場に悩む人には、転職という選択肢を届けたい。
サラリーマンを辞めて独立した今、
「世の中の役に立ちたい」
「価値のある人間になりたい」
その想いを胸に、全力で取り組んでいます。

飯塚大樹の“原点”
私は高校・大学と、試合にほとんど出られませんでした。
球も遅く、仲間にバカにされ、悔しい時間を過ごしました。
でもその経験が、今の活力になっています。
「過去は変えられないけれど、これからは変えられる」
そう信じて、Instagramを中心に発信を始めました。
投稿を重ねるうちにフォロワーが増え、
2025年4月時点で 12,000人 を突破。
素直に嬉しい数字です。
発信を始める前は「自分なんかが…」と自信がなかった。
でも今は、「一人でも誰かの役に立てるなら」と思って投稿しています。
メディア・出演実績
ありがたいことに、多くの野球系YouTuber・メディアに出演させていただきました👇



YouTubeやSNSでの発信を通して、少しずつ「投球を変えたい」「イップスを克服したい」と思ってくださる方々と出会えました。
その声に応えるため、ブログを開設しました。
ブログで伝えたいこと
テーマは「学生時代の自分に伝えたいこと」。
うまくいかなかった頃の私が、当時知っていれば救われたかもしれない考え方や練習法を中心に発信しています。
誰かの「できない」を「できた」に変える。
その瞬間を見たいから、私は今日も全力で指導しています。
学生時代のわたしに伝えたかった事
〜思考停止だった日々からの学び〜
高校野球の公式戦で、私が投げた球数はわずか8球でした。
10対0でリードした5回裏。
抑えればコールド勝ちが決まるという場面での登板。
今思えば、あのマウンドに立てただけでも本当に感謝しています。
けれど、当時の私は「もっと投げたい」「もっと認められたい」という想いでいっぱいでした。

高校三年生
高校三年生
私は地元・福島県いわき市を離れ、
「プロ野球選手になりたい」という一心で、栃木県の高校に進学しました。
寮生活で、朝から晩まで練習。
休みはほとんどなく、修学旅行や学校行事にも参加できません。
テスト休みもない環境で、心も体も追い込まれる日々でした。
それでも、結果は出ませんでした。
どれだけ投げても、当時の最速は129km/h。
プロを夢見る高校球児としては、正直、絶望的な数字でした。
高校3年生の頃、私はチーム内でも球が遅い投手として知られていました。
野手の方が速い球を投げる。
それを見ては笑われる。
使える変化球はカーブだけ。
直球では空振りを取れず、試合で投げる機会も少ない。
でも一方で、「肩」だけは自信がありました。
平地の遠投では115メートルを投げることができ、チームでも上位。
なのに、マウンドに立つとその強い球がまったく投げられない。
「あの感覚で投げたいのに、投げられない」
その葛藤がずっと心の中にありました。
当時の私は、そんな悩みを抱えながらも、練習方法を自分で調べたり、指導者に質問したりすることを一切しませんでした。
ただ、与えられた練習をこなすだけ。
やらされる練習を「やること」に必死で、
「なぜこの練習をしているのか」を考えることもなく、
思考停止のまま日々を過ごしていました。
気づけば、「上手くなるため」ではなく、
「怒られないようにするため」に練習していたんです。
それが、あの頃の私のすべてでした。
今振り返ると、
あのとき「考えること」をやめていた自分こそが、成長を止めていたんだと思います。
どれだけ努力しても、考えなければ伸びない。
逆に、考え方を変えれば、どんな選手でも変われる。
この経験が、今の私の指導方針の原点になっています。
「昔の自分のように、悩みながらも前を向いて頑張る選手」
そんな選手たちに、私は伝え続けたい。
練習は“やらされるもの”ではなく、“自分で変えるためのもの”。
できない理由ではなく、できる理由を探そう。
それが、私が学生時代の自分に伝えたかったことです。
社会人野球で再燃した野球熱と自己最速145km/hへの道
31歳で自己最速145km/hを計測!?
高校時代は129km/hしか出せなかった私が、まさかここまで成長するとは夢にも思いませんでした。
大学野球に進む縁があり、比較的自由な環境でプレーすることができました。
さらに、専属トレーナーの方々から「体の使い方」「体の鍛え方」「投球フォームのヒント」を学び、半年ほどで球速は139km/hまでアップしました。
しかし、怪我や実力不足により公式戦での登板は0。
夢だったプロ野球や社会人野球に進むことも叶わず、結局は会社員として働く日々に…。
軟式社会人野球も一社も受からず、野球から離れ、始発から終電までの仕事に追われる日々。
あの頃は、「自分に野球の縁はないのかもしれない」と思っていました。
そんな中、たまたま仲間に助っ人として誘われた草野球がきっかけで、野球熱が再燃します。
営業職の傍ら、寝る時間を削って毎日1時間のトレーニングと投球フォーム改善を続け、球速もコントロールも大幅に向上し草野球チームで全国大会に2度出場。
そして30歳のとき、念願だった企業チームからスカウトを受け転職。
31歳の時、人生最速の145km/hを記録するまでに成長しました。
最高成績は、全国優勝+MVP。
スポニチにも取り上げられるなど、30歳を過ぎてから最高の経験をすることができました。


スポニチ
もちろん、嬉しい気持ちと同時に、「もっと早く気づくべきだった」という後悔もありました。
過去は二度と戻りません。
そこで34歳になった私が考えたことは、ただ一つ。
「これまでの経験を、悩んでいる投手に伝えること」
私はこれまでの野球人生で、途中で試したことや当時の思いを記録してきました。
その経験を、SNSやブログを通じて悩んでいる投手に届けたい。
そして、その情報を見た選手が夢に近づき、プロ野球に挑戦してくれたら、これ以上の喜びはありません。
今でも伝えるヒントを得るために自分で試すために毎週投げ込んでいます👇
投球を変えるために必要なこと
私自身の経験から言えることは、球速が上がり投球が変わる理由は次の5つに集約されます。
- 自らコツをつかむ
- やり方を知る
- 選択肢の中から自ら考える
- 継続する
- 常識を疑う
この経験をもとに、悩んでいる投手たちに「選択肢」や「ヒント」を届けたいと思い、Instagramやブログを開設しました。
- チームで十分に教えてもらえない
- 教えられていることが具体的にわからない
- 抑え方がわからない
- 速い球が投げられない
- コントロールが定まらない
こんな悩みを抱えながら野球に取り組む投手やパパコーチにとって、少しでも「きっかけ+ヒント」になれれば嬉しいです。

できない選手をできるようにする――それが私の目標
「できない選手をできるようにする」

一見当たり前のことですが、実際のチームでは上手い選手ばかりに指導が集中し、できない選手には厳しい言葉だけが飛ぶことがあります。
- 「ストライク入れろ、勝負しろ!」
- 「自信を持って投げろ!」
- 「腕をしっかり振れ!」
私にはプロ野球経験も、大活躍した学生時代もありません。その分、できない選手の気持ちはよくわかります。
- 「ストライク入れろ」と言われても、そもそも入らない。
- 「自信を持て」と言われても、成功体験がなければ自信は湧かない。
- 「腕を振れ」と言われても、いくら振っても当時の私の球速は129km/h。
少年時代、厳しい言葉を浴びながらも解決方法がわからず、野球を嫌いになって辞めていった選手を何人も見てきました。
チーム指導ではどうしても全体を見る必要があり、個々の課題や悩みに合わせた指導は難しくなりがちです。その結果、感覚を掴むのが上手な選手だけが伸び、挫折する選手も多くなります。
しかし、最近では専門知識を持つ外部指導者の存在が、個別指導の効果を高めることがわかってきました。
例えるなら、勉強で苦手科目に家庭教師をつけるのと同じです。投手にも、個別でサポートしてくれる指導者が必要だと考えています。
だからこそ、私は1人でも多くの選手に対して「できない選手をできるようにする」ことを目指しています。
- できるようになることでチーム力が上がり、勝利に近づく
- 成功体験を通じて野球を楽しめる
そんな選手を増やすことが、私の「夢」です。
※実績として、元プロ野球選手の加藤翔平選手からご依頼をいただき、お子様を指導した経験もあります。元プロの方からご依頼をいただけたことは、本当に嬉しい経験でした。


SNSを通じて発信活動をする活力
私はInstagramやこのホームページを使い、発信活動やPR活動をほぼ毎日行っています。
よく「毎日投稿するのは大変では?」と聞かれることがありますが、私にとって発信は苦ではなく、むしろ楽しみの一つです。
実は高校時代、私の夢は「新聞記者」でした。


新聞記者の夢は叶いませんでしたが、振り返ると、現在のSNSでの発信活動はその夢に近いものだと感じています。
発信を通じて自分の経験や考えを届けること。そして、ホームページ制作やチラシ作成などの制作活動を組み合わせることで、お客様の集客やPRのお手伝いができることにやりがいを感じています。

※クチコミはスライドしてご覧いただけます

































































